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神野八朗のペルマネッサンス PERMANESCENCE

                                                         青木 宏

 

 

色即是空

2004年3月、神野さんは栃木県立美術館で「ペルマネッサンス」と題したパフォーマンスを行った。会場は幾何学的な輪郭の小さな池に階段状に降りていく直線的な構成の大理石の中庭。膝下くらいまでの深さに水を湛えた池の中央には、このパフォーマンスのために直径2メートルほどの「島」が設置された。

パフォーマンスは初め、ワークショップのような形で始まった。池の畔に準備した机上の紙と墨汁を使って、観客にそれぞれの希望や夢や思い、あるいは絵でも何でも描いてもらう。そして、観客が書いた紙を無造作に丸めた神野さんは、それらを島に敷き詰め、その中央に立って、ロープによって引き上げられていく幅広の白い布に筆さばきも軽く何かを書き付けていく。「何かを」というのは、白い布に白い色で書き付けているために判読できないのだ。書き終わって、布が島の上に昇り切ると、神野さんは新たな筆を小壜の液体に浸し、筆を振って周囲の丸めた紙に垂らして島から離れる。

すると、液体に触れた紙から火が昇り出し、島を覆う紙が大方燃え切る頃に火が中央に屹立する白い布に燃え移ると、布は下から火に包まれ、風に揺れながら中空で燃え尽きるのである。

観客が書いた紙も、神野さんが書いた布も瞬く間に燃えて無くなってしまった。実は神野さんは白い布に「色即是空」と書いていた。その文字が判らなくても、観客は皆、感じることができたに違いない。自分たちの書き付けた「思い」の儚さを。自分たちが記した希望や夢、日常の思いすらもが瞬く間に消え去る空しさを。 夢も希望も、瞬く間に文字通りの「」へとしてしまった。 しかし、日常のこだわり(=色)から瞬時にして精神を解き放つこのパフォーマンスは清々しかった。この場で「空」を体感した、もしくは視覚体験した人々は決して空しくはなく、むしろ充足して「空」を受け入れただろう。

おそらく達観した高僧や哲人以外の大多数の人々にとって「空」を持続することは難しい。 それぞれの「空」はやがて新たな思いによって充填されていく。「色即是空、空即是色」の連鎖の中に人は生きてゆくのだ。こうした連鎖して永続する(permanent)ものの中に真理、真髄(essence)を見出そうとする表現に神野さんは「ペルマネッサンスPERMANESCENCE」という造語のタイトルを付けている。そして、このパフォーマンスの会場には同名タイトルのインスタレーション作品も展示されていた。

 

ペルマネッサンス PERMANESCENCE

それは直径20センチほどの川石を載せた50センチ立方の藁束12個を等間隔に直線状に並べたものである。池の中央の2~3個を始めとしてそれらのわら束が東南の方向に大理石の床を徐々に上り詰めていく。このインスタレーションは1997年に神野さんがブルターニュの野原から川にかけて展開した大規模なそれの美術館用の縮小版といえる。そしてブルターニュでは、藁束ならぬ大きな干草束の数々を展示の最後に炎上させていた。それは大変なスペクタクルだったに違いない。栃木県立美術館の展示作も炎上させることが神野さんの希望だったが、街なかの美術館ではそれに応えられず、パフォーマンスをその補完に位置づけたのであった。

藁や干草は短時間で変化し、火を点ければたちまち燃え尽きてしまう刹那的、瞬時的な物質であり、一方、石は硬く、短時間では変化せずに、並みの火力では火がつくこともない堅固で永遠的な物質である。瞬時と永遠という、明らかに正反対の概念の象徴物を共存させることで作品は緊張を孕んだ存在感を放つ。藁や干草は確かに刹那的、瞬時的な物質だが、それらは人の絶えざる労働とともに毎年実り、人の糧となって次代の人を作るように、連鎖して永続するものの隠喩でもあるのだ。その永続・永遠の直喩として石が示されたのである。作品は対概念で構成されているように見えながら、対立しているのではなく、総合されて作者の世界観の披瀝となっている。しばしば用いられる炎は究極の瞬時性の象徴物だろう。その炎がいつも水と限りなく近接して用いられていることにも気づかなければならない。炎の瞬時性の中に見出すべき永遠性を水が示唆するのである。

神野さんが示すように、確かに世界は瞬時と永遠の総合によって成り立っている。刻々と生まれては過ぎ去る現象や出来事、人の営み。これらはしかし、因果の連鎖をもって過去から未来に永続している。前世や来世といった概念を生み出す神秘主義や宗教も、因果律を基盤にした唯物論もこの因果の連鎖によって世界観を築くに至っているのである。

 

○△□

 神野さんのインスタレーション「ペルマネッサンス」を構成する藁や干草は四角な立体であり、石は丸い。確かに角ばったものは鋭く、瞬時的であり、丸いものは永遠的で、対称的な概念は物質性だけでなく、形態感からも感じられる。これは偶然ではなく、神野さんの四角や丸は意味と結びついていた。

神野さんの描くドローイングや版画にもしばしば「○△□」が登場する。これは江戸時代の画僧仙崖の禅画であまりにも有名だが、仏教哲学者の鈴木大拙は「この円・三角・四角は仙崖の宇宙図である。円は無限を表す。無限は全ての存在の根底にある。しかし、無限そのものには形がない。(略)三角形は全ての形の始めである。そこから先ず四角(正方)形が現われる。四角形は三角形を重ねたもの、二重にしたものである。この二重化の過程は限りなく進み、おびただしい多様な事物があることになる。中国の哲学者が言うところの<万物>であり、即ち宇宙である。」(岡村美穂子・上田閑照『大拙の風景―鈴木大拙とは誰か―』燈影社、1999年、46-47頁)と解説して、仙崖の絵と思想を伝えている。この解釈においても円は無限永遠であり、その対極の変転するものが四角であった。

書を早くから学び、その造形に書を取り入れることを特徴とする神野さんが、仙崖の禅画に深く影響を受けたことは容易に想像できる。一方、書とは違った造形の思索からも、根源的なものは同じ形態に帰結する。セザンヌのあまりにも有名な言葉「自然を円筒形と球形と円錐形によって扱う」はいかに後の美術家たちを啓発し続けたことか。また、木の形を通して自然の生命感を伝えるイギリスの彫刻家ディヴィッド・ナッシュは近年、自然の中に無い形として、それゆえ究極の概念的な形として○△□を提示する。こうした画家や彫刻家たちのアプローチから結論づけられるように、○△□は根源的・普遍的な形であり、神野さんは物質性とともに、形態感においても、生成流転する現象とその奥の普遍を提示しようとしたのである。

 

時間

 物質と形態のほかに、神野さんの作品世界にはもうひとつの重要な要素がある。それは時間性である。神野さんの平面作品の特徴である書的なドローイングは軽快なスピード感を伴っている。 ゴッホや彼を嚆矢とする表現主義の画家たちを特徴づける筆勢がその強い表現の源になっているように、また、途切れ途切れの線とその筆勢そのものが作品世界であるサイ・トウォンブリのように、ドローイングにはさまざまな筆勢があり、それが表現の上に決定的に作用している例には事欠かない。しかしスピード感を持った流麗なドローイングは絵画には稀である。元来、書の芸術が持つこの要素を神野さんは絵画に見事に援用している。そしてそのスピード感は一様ではない。流麗な線によって緩やかで穏やかな時間を生み出す場合もあれば、素早い、途切れるような線によって緊張感のある時間をも生み出して自在である。書は文字になれば特定の意味をダイレクトに伝えてしまうが、神野さんの書の援用はそれを敢えて避け、書の平面造形としての可能性が追求される。それによって、書が造形表現としてさまざまに有効性を持っていることが示されている。むしろ時間の表現は数ある有効性の一つに過ぎないかもしれない。

ドローイングの軽快さは神野さんの絵画のみならず、彼のあらゆる表現にも共通して感じられる。「ペルマネッサンス」の明解なコンセプトのもとのインスタレーションやパフォーマンスの整然とした切れ味。実際、パフォーマンスをする神野さんの立ち居振る舞いも切れ味を感じさせるほどに軽快である。それはフランスを中心に世界を飛び回りながら制作する行動力もさることながら、変転する自らの生にも普遍の真実を見出した「ペルマネッサンス」の作家だからであろう。  

                                                 栃木県立美術館学芸課長

“PERMANESCENCE” 
 
神野八朗がこの造語を編み出したのは自らのアートを、真髄と永遠の融合という概念に結
びつけたいという思いがあったからだ。 
だが、この存在への強い思いを表現するには激しい闘いが必要だ。なぜならこの闘いが時間
という破壊者を相手にした際限のない、不平等な闘いだからだ。神野八朗がキャンバスや紙
の上に繰り広げる作品に注ぎ込むエネルギーの原動力は、必然的にこの時間との闘いから
来ているのだろう。その意味でこのアーティストは、日本のはるか昔の伝統を重んじる価値
観に忠実でいると言える。ただしそのエネルギーは戦場ではなく、はるかに穏やかなアート
の場での挑戦に注ぎ込まれている。 
 
洗練された繊細な色遣いや柔軟な筆遣いは作者の意図を間違いなく伝えるはずだ。この素
早い、意図的にミニマルな表現法―色遣いは少なく、限られたモチーフとして繰り返し登場
する円、三角形、正方形―を通してその野心に満ちたグローバルな世界観を垣間見ることが
できる。人は存在するために自己を主張しなければならない。しかし同時に人の力の及ばな
い、生活の根幹を成す大きな均衡に敬意を払うことも忘れてはいけないということを。 
 
                           J-P アルノー 
 
                            (片岡まり訳) 

神野八朗   フランソワ・ル・タルガ評  1982 年 11 月 
 
 
1977 年春、神野八朗という日本人の青年に出会ったのは、パリで唯一日本のアートギャラ
リーと呼ぶにふさわしい画廊を 1957 年から経営しているジャネット・オスティエのところ
だった。彼はちょうどそこで書道の作品を展示していた。取り立てて言うほどではないと言
う者もいるだろう。ところが私がすごいと思ったのは彼が文字通り書に取り組んでいると
ころを一目見たときだ。かつての島国ジパングに侵略し征服を試みた我々欧米人が、数々の
有名な画家を輩出しているにもかかわらず、彼の自然で制御された動きの中に感じられる
真の内面性において、まったくその域に達していないことがわかった時だ。 
 
この新鮮さに私は一目で魅せられた。書の作品はほかにも見たことがあるが、その「生まれ
る」瞬間に立ち会ったことはなかった。私はその制作のシーンをテレビ番組にした。一連の
儀式的所作、常に使用する決まった道具、床に広げられたフェルト地の上に定位置に置かれ
るひとつひとつの品、錬金術師が作品を制作する時と同じくらい慎重に、丁寧に墨を溶かす
儀式、アーティストの集中、仕草、そのすべては教会でのミサの規範、つまり聖なる儀式を
連想させた。それこそが極東の国の主たる芸術である書であり、様々なフォルムの表現が生
まれてきた源なのである。 
 
神野八朗の進む道には不安要素がなくもなかった。1945 年当時 1 歳であった彼は、その戦
後の混乱期直前に 8 人兄弟の末っ子として生まれた。父は地元の有名な神主であり、著名
な書家でもあり、さらに有名な書家である神野渓雲の弟でもあった。この「小さな末っ子」
の肩には引き継ぐべき哲学と芸術の重い遺産がのしかかっていた。彼は日本人として守る
べき規律、つまり両親をはじめ師や目上の者に敬意を示すことを忠実に守った。 
 
神野八朗は日本人であり、また日本人であり続けることを望んだ。着物を着る習慣もやめな
かった。ローカル色を出すためにではなく、着物が身にしみついているから着ている。下駄
という木製のサンダルを履き、皆と同じジーンズとタートルネックのセーターの上に日本
のハッピを着て、イタリア製のバッグも持つが、運ぶものを青い布に伝統に従った方法でき
ちんと包む。そんないでたちでパリを歩くのだ。これが目に見える形の二元性だ。仕事でも
同じことが言える。彼はヨーロッパの、特にスイス・ベルンの美術館などで主に書の実演を
行った。1979 年にはジャネット・オスティエのギャラリーで茶道をテーマにした陶芸とグ
ラフィックも紹介した。その前年にはパリのオペラ座でキャロリン・カールソンの「L’année 
du cheval」( 午年)という作品の舞台と衣裳を担当した。1981 年にはフェスティヴァル・
ド・オートンヌ(秋の祭典)とオペラ・ド・パリで同様の仕事に加えて新しい要素を取り入

 
れ、かなりの才覚で舞台装置の構成と演出を行った。 
このように神野八朗は、フランスに「輸入」された書家になることもできた。が、それを望
んではいない。他の才能ある日本人のように、洋画家になることもできた、だがそれも望ん
でいない。 
彼は伝統とクリエーションを両立させる狭き門を選んだ。戦術用語でいえば「分列行進」の
ような難しい道を、あえて選択し満足感を持って通り抜けた。伝統を、彼は守り続けている。
他方、今日という新しいものを新たに見つけ、考案する。これは私が最近見た一連の作品だ。
「空白と充満」という極東固有の繊細な関係がその中で忠実に守られている。書は、ここで
は本来の意味からはずれるか、あるいは想像を加えられ、厳密にアブストラクトの形をとっ
てはいるが、確かに存在している。そして新たに考案された今日の要素として、そのほぼ伝
統的な構成の上にオレンジのレーザー光線のような筋を走らせている。 
 
神野八朗には、これだけ敬意を払っている伝統を、怒りをぶつけるような行為で自ら引き裂
くことなどできない。しかしながら同時に伝統だけにとどまるには激しやすく、創造的過ぎ、
時代に乗り過ぎ、そして西欧的過ぎた。我々はここ数年、このように彼の危険に満ちてはい
るが素晴らしい融合に立ち会う機会を得ている。調和への探求はおそらく彼の夢であり、目
標だろう。空白と充満、陰と陽、黒と白という永遠の均衡を求める彼の才能は既に明白だ。 
 
神野八朗は東西の融合を深く望みながらもこの二元性を貫いてきたために、益々日本的な
厳格さを持つようになった。彼は中国のこの素晴らしい筆を使って、十年間は竹の絵しか描
かないという忍耐力を持って製作にのぞんだ。神野八朗は目でみて、経験した世界を描くの
ではなく、何百年間も受け継がれてきた思想に裏うちされた現代の世界の営みを描く術を
完全に身につけている。 
 
是非はともかく、日本人は物まねの名人とよく言われる。私に言わせれば彼らは習得の名人
だ。神野八朗という日本人はこの俗諺を初めてくつがえした。彼はクリエーターだ。 
画家は何もないところから急に現れるものではない、というクロード・ロワの言葉のように、
神野八朗の創造はどこにでもあって、すぐにどこかに消えてしまう類いのものではない。こ
の狭き門を通る道のりは長く、苦しいものと察せられるが、我々には知る由もない。日本人
の名にふさわしく、彼は嘆いたりすることは決してないのだから。   
 
 
                              (片岡まり訳)

神野八朗   非連続の抒情詩         Fernand Fournier 評 
 
神野八朗の作品の中には不思議な抒情性が宿る。その抒情性は歌や踊りの形を
借りて、観る者の魂を崇高の域に至らせようとするが、さりとてその作品の特徴
である、流れるような語り口に任せきることもない。神野八朗の作品には大きな
身ぶりで、無限に向かって一気に描き上げる様子は見られない。そのような身ぶ
りがあっても作者は出来上がった作品に見える連続性を急いで断ち切ろうとす
る。彼が最近紙に描いた三部作を見てみよう。三枚のパネルに描かれたものがひ
とつの作品を構成しているのだが、彼はそれぞれのパネルの間にわずかな隙間
を空け、空白の白色の空間を作って、描かれた表面に区切り目を入れている。神
野八朗の抒情性はシンコペーションを使った抒情詩とも言えるかもしれない。 
彼が明らかに拒んでいる手法―それはよく歌や踊りに使われる手法で、わずか
な変化や変調を利用して人に錯覚を与え、時の流れを忘れさせることだ。 
神野八朗にとって美しさは、はかなさを伴ってこそ意味がある。この非連続性に
対する情熱―これこそが美しさの生まれたての輝きとその衰退時の美を、同じ
感動の中に垣間見せたり結びつけたりできる図式になっているのだ。そして、だ
からこそ美しさが破綻する直前には前触れがなければならない。それどころか
悲劇の頂点に達し、すべてが無に向かって崩れ落ちる瞬間にこそ信号が欠かせ

 
ない。この分断こそが作品の構成を中断して分割する役目を果たしているのだ。
 
作品の中に急激な変化を生じさせ、完璧を目指して突き進むフォルムの流れを
断ち、あるいは色の調和を乱す。なぜなら絶望の淵に立った時にしか、今起きて
いることに対する哀愁や恐れ、陶酔感が混ざり合う目の眩むような状態が生じ
ないからだ。  
 しかしながらこのように時間を止め、語りを停止させることだけが単純にこ
の画家にとってのはかなさの形でも崩壊に向かう感覚の表現でもない。神野八
朗の世界では物質は無条件に安定性を持つものではなく、常に消滅と発生の狭
間にあることがわかる。同じ作品中に取り入れる奇抜な書がそれを体現してい
る。この時点で、書はもはや思考のひらめきを伝統に従って文字に表現すること
だけではなくなっている。描かれた文字は特殊な顔料*によって描かれること
で全く新しい特性と意味を持つようになったのである。変化し揺れ動く優しい
光に当たってくっきりと現れたり逆に消え去ったりする。このアラベスク模様
状の文字は観る者に非現実ともいえるような永遠のきらめきを与えたかと思う
と、次の瞬間には冷たく霞んだパールグレー色に薄まっていく―観る者にその
意味を伝えるという役割を超え、この世には存在と不在の狭間に漂う不確かな
世界があること、そしてそのどちらの境界線にもたどり着くことができないこ
とを感じ取るように我々を促している。この特殊な顔料はここで素晴らしい役

 
割を果たしている。時にごく細かい虹色の光が引き起こすつかみどころのない
埃のように、ごく自然に無と永遠との境目に存在するのだ。ほかのどんな材料を
使ってもこのような象徴的世界を作り上げ、さらにこのような非連続の手法を
通して、この世の現象的世界の非永続性を奏でることなどできないだろう。 
 しかしながら神野はその非連続性の論法をキャンバスの表面だけにとどめて
はいなかった。それを三次元の空間に広げることに存在価値があると考えた。三
部作で作者がこの世の非永続性を伝えるために作品の流れを途切れさせている
のは、否の世界が勝利する時だけではない。この途切れは単純な白でもなく、欠
落部分でもない。これは言葉通りの意味での開口部であるといえる。この作品の
構図を二か所の縦の切れ目によって生じさせた実在する空間。調和を乱すこと
で人の視線を惹きつけ、問いかけ、最後には茫然とさせる。他方で色の観点から
見ると、このグレーは最後には乳白色の水蒸気状に薄まり、筆の跡に映るかき傷
のような光はその中で途切れながら消えていく。不鮮明であるからこそ、この色
は作品の物理的表面を消し去ってそこに全く異質な空間を拡げることができる
のだ。 
 全てがこの世の現象的世界を超えられる可能性を我々に示唆しているように
見える。そして実際に、観る者の視線を作品の向こう側にある空間に沈ませると
き、作品自体がその合図を送ってくるのだが、その視線が向けるべき特定の対象

 
はもはや存在しなくなっている。この状態を思考と直感の完全な停止状態、永遠
の現在のために時間というものが消し去られ、全ての物が完全な静止状態に留
まった状態になると言える。このように反転という観点でみると、非連続的なも
のと銘打たれた、変わりやすく壊れやすいあらゆるものが実はむなしいもので
あることがわかる。 
仏教の表現を借りれば、マヤのベールが破れて見える真の現実である生物―自
分と同じ姿をした現実の存在、あるいは逆に空白なのか、片方はもう一方の裏返
しでしかないのかもしれない。この芸術作品はこの時点で新たな冒険的体験へ
の通過儀礼となることは明らかだ。 
                        2009 年 4 月 於パリ フェルナン・フルニエ 
 
*顔料―ここでは神野八朗が自ら考案し作成した貝殻粉ベースの顔料を指す。 
 
                         (片岡まり訳)

 

 

 

神野八朗の作品についての考察 
 
 
静かな鑑賞と、静かにめぐらせる思考を通して、その先にある新しい意識の世界へと鑑賞者
を導いていく―このような卓越した芸術について、本当を言うと何人もとやかく発言した
り批評したりするべきではない。 
 
実際、もしヨーロッパにおいて芸術作品を前にして弁舌をふるうことより沈黙の徳が好ま
れるのが一般的であれば、それについて書いたり述べたりすることはないだろう。しかしな
がら、我々の習慣としては芸術作品を前にすると複雑な建造物に取りかかるときのように
それを分析し、利点や難点を見つけ出し、様々な視点から評価する。そして現代アートにつ
いても他のアート同様アーティストの伝えようとしていることに対して難問をぶつけるこ
とがしばしばである。 
 
ところが、神野八朗の作品は一目見たときからそのような質問を投げかけることを躊躇さ
せる。それで困惑させられるのだが、その逆でもある。なぜならばどのような分析や評価を
したとしても愛好家のおしゃべりにしかならず、かえって作品の本質を見失わせてしまう
からだ。本質―それは観る者を別の世界での思考に沈ませることだ。 
 
神野八朗は我々にこの世について、またアートについてバランスの取れたビジョンを体験
するよう誘いかける。1944 年日本に生まれ、著名な書家であり神主でもあった父のもとで
幼い頃から書道と絵画の伝統を学び吸収していった。その後東京そしてパリで西洋美術を
学んだ。1968 年以降神野八朗は主にパリとサン・レミ・ドゥ・プロヴァンスを生活と仕事
の拠点とし、機会があれば日本にも帰る。そしてフランスに暮らしながら、日本の伝統の素
晴らしさを改めて高く評価するようになった。 
 
宗教としての神道ではあらゆる形の自然と命を崇拝し、簡素と清浄の中に美を見出す。禅宗
の影響を受け、そのアートは人間の五感だけでは味わえない現実に触れるために、知覚と戯
れる。絵画と俳句は人の心をかきたて、目に見える絵や言葉以上に多くのことを感じ取り、
理解させようとする。 
 
墨絵の大家である神野八朗は、日常の出来事や旅先での感動を素早く確実にとらえ、漆黒か
ら繊細なタッチに至るまでを筆で表現する。それを彼はスケッチブックに描き留め、その作
品に合わせて俳句を作り書き添える。そのスケッチは観る者に、実際に墨で描かれた絵が表
 
 
す以上に多くのことを連想させることがしばしばである。例えばスケッチブックのページ
の上部に描いたいくつかの小さな小船―たったそれだけ。それなのに私たちにはそのペー
ジの“空白”部分にあるものが見えてくる―波も立たない静まり返った海。明るいが眩しいほ
どではない。生温かでかすかにヨウ素の香がする空気を吸い込み、穏やかで心地よい一日の
喜びを感じる。 
 
神野八朗は 2014 年にもクラインザッセンでの滞在中にスケッチブックを開き、村の教会や
ミルセブルグ近郊の印象を記した。彼はその瞬間の雰囲気や景色のエッセンスを感じ取る。
小石、消えかかった稜線、点在する植生、もやのかかった谷間、物思いにふけるように地平
線からの眺めを捉えている。 
全てが筆と墨だけで、細部にはこだわらず全体の印象を線で描いているだけなのだが、それ
が写実に徹したどんな細密画よりも忠実に光景を蘇えらせているのだ。 
 
伝統的な日本画の手法を採り入れた限られた形での表現は、もともとは主観的なものであ
ると言ってよい。それでも彼は本質だけにとどめようとする。具体的なものすべてが想像の
領域に向かい、形 を見ている視線がさらにその向こう側に導かれる。すると間もなく具体的
な物質の世界は消え去ってその描写された姿だけを思い描くことができる。そうすること
で対立がなくなり、代わりに互いに交わり調和の取れた全体像が現れる。最も有名な仏教の
スートラ(経典)が説く心についての教えに「色即是空、空即是色」という言葉があるが、
神野八朗自身も「充満は空白であり、空白は充満である」と言う表現をもって自らの一連の
作品の題名にした。光と闇(陰)あるいはその逆をテーマとしている。絵画と彫刻と書のア
ートが紙やキャンバスの上で混ざりあいオブジェやインスタレーションの形で表現されて
いる。 
  
時折神野八朗の作品はベースとなっているフォルムに戻ることがある。それは円、三角形、
正方形で、それぞれ水、火、土を意味する。円はまた永遠と完全を表してもいる。 
さらに彼は永続性や不変性、はかなさや流れを別の形で表現できないかと考え、そして見つ
けたのが石やわらの束、水たまりなどを使ったインスタレーションである。神野八朗のラン
ドアートのインスタレーションで、わらは焼かれて灰と化し、わらの上に設置された石だけ
が残り真髄の永遠性を表現するのだ。 
 
体験、知覚、自然と命に対する意識、生成と移行、動きと永続性はいずれも神野八朗の個人
として、またアーティストとしての懸案の課題である。それを表現するために彼は最近
「Permanescence」(ペルマネッサンス)という言葉を造った*。すべてがそこに融合され
ているが、真髄は常に変わらない。このタイトルをつけた一連の作品では存在に関するこの
根本的な問題にしばしば立ち返る。茶の儀式である茶道は神野八朗にとって作品に取りか

 
かる前に不可欠なもので、精神を清めて集中する行為だ。黒い墨は神野八朗が自ら墨片を硯
の上ですり、その濃さを漆黒の黒色から半透明の繊細な灰色に至るまで水の量で調節する。
反対に赤、白、青の色には、すぐに乾いて墨と混ざることのないアクリル絵の具を使用する
ことで、墨の半透明な黒色の上に重ねている。この絵の図式と同様に、行動と思考は自然や
生活と共存することができるのだ。神野八朗は立った姿勢のまま身体全体を使って紙やキ
ャンバスの上で筆を運ぶ。書道では一筆は連続した動きで描く。加筆修正はない。描かれた
一筆、一点は、存在と永遠が後で変更することができないのと同様に「Permanescence」を
意味している。ただ、時に作品にスートラを加えることがある。それは円の形であったり、
ときには正方形の敷石だったりする。スートラとは「糸」という意味だ。スートラは糸のよ
うにキャンバス上に織り込まれる。その文面は特別な光を当てると見えてくる。彼が自ら創
り出した胡粉*を使った特殊な顔料を使っているからだ。 
   
その縦書きの文章を理解できるヨーロッパ人は滅多にいない。しかしながら見ただけでど
れだけ洗練されているか、そして文字がどれだけ精神性の高いものであるかはよく伝わっ
てくる。キャンバスを眺め、その向こうにあるものを思い描きながら我々は何を考え、何を
感じるだろうか。小鳥の羽、打ち寄せる波、砂に描かれた絵、木のかけら。こんな思い出を
通して我々の思いはどこまで飛んで行くのだろうか。 
 
神野八朗の絵は一言でいえば生命の真髄についての瞑想である。有名な日本人画家である
北斎はある日、自分の芸術について、描く点や線の一本一本が自分の生きざまを意味すると
ころまで到達できるなら110歳まで生きていたい、と述べたそうだ。神野八朗はその域に
近づいていると言える。 
 
実のところ、このような卓越した芸術について、何人もとやかく発言したり批評したりする
べきではない。 
作品を静かに観察し、そこにめぐらせる思考を通してその先にある新しい意識の世界―
「Permanescence」の世界への扉を開かせてくれるからである。 
 
        エリザベス へイル博士 Kunststation Kleinassen アートデイレクター 
 
*Permanescence:栃木県立美術館学芸員長の青木宏氏による「PERMANESCENCE、
HACHIRO KANNO」の 4 章目参照。 
 
*胡粉はここでは神野八朗が自ら考案し作成した顔料。 
 
                              (片岡まり訳)  

神野八朗 


武蔵野美術大学で西洋美術の流れに魅せられた若き日の神野八朗は 1968 年、フランス
政府給費留学生としてパリに渡りエコール・ナショナル・デ・ボーザール(国立高等美
術学校)で学んだ。1979 年パリ市から支給されたアトリエが何と 1904 年から 1909 年
までピカソが暮らした場所だった。モンマルトルにあるこの伝説の Bateau-Lavoir(洗
濯船)に「衝撃的な感動」を持って住み込んだ神野は、現在もそこに暮らし続けている。 
 幼い頃から彼は禅の価値観である「瞑想と創造」の中で生きる術を父から学んだ。神
主であり、日本でも名高い書家だった父は彼に筆の持ち方と書に向かう姿勢を教えた。
そして彼の長兄を通して筆の運び方と正確なバランスを指導し、書 家に求められる厳密
さと自己の規律、そして廉潔を教え込んだ。神野八朗はその後受けた学校での授業や通
信教育を通して「批判」の精神も学ぶ。まわりの影響やはめられた型の枠外で行動し、
自由な思想を持って自身の芸術家としての特性を発見するために、自分の個人的体験を
優先させていった。 
彼の芸術や生き方の東洋的概念は彼のすべての作品に繰り返し現れるテーマに反映さ
れているー充満と空白、陰影と光、継続の中の瞬間の捕捉、絶え間ないフォルムの変化、
はかなさと永遠の融合など。 
書家そして画家として神野八朗はフランス、日本そしてアメリカ合衆国で展覧会やアー
トイベントを繰り広げている。 

 
神野八朗 
プレスー芸術批評 
書道は神野八朗にとって絵画の道への出発点であるが、彼はそこから東洋と西洋の伝統
を融合させ、身体の動きや身振りを主要な表現法とした抽象の世界を生み出した。その
作品にはキャンバスに整えた白い下地の上に赤、青、遍在する黒と共にかすかに輝く顔
料の素材が繰り返し、交互に使われている。  
彼の作品には自由で鮮やかな色彩が使われ、黒はグラデーションのように青白いグレー
へと薄まり、そこに真珠の光沢を帯びた白色が垂直に整然と描かれる。それは光線の当
たり方と見る角度によって消えたり、現れたりする。 
この絶え間ない変化には対立する要素も見える。作品を制作する素早い動作は我々の視
線を水平に安定させるが、その一方で垂直に書かれる書体は、きらきらと振動し、つか
の間のゆらめきをもって絵に動きを与え続ける。 
彼の手法には日本での厳格な書道の学習と同時に自由への渇きが見える。やがてフラン
スに来て、自分のやり方で色たちを「動かす」方法を見つけたと言える。 
 
神野八朗は自らの作品を表現するのに“Permanescence”(ペルマネッサンス*)という造語
を使う。 
すべてのものの真髄(essentiel)は永遠に (Permanence) 存在し続け、あらゆる生命の躍動
を支えそれを超越してひとつになる。 
 
*栃木県立美術館学芸員長の青木宏氏による「PERMANESCENCE、HACHIRO KANNO」の
4 章目参照。 

 
 
     
神野八朗   抜粋記事 
 
―漢字は本来ひとつひとつ意味を持っている。その文字の連なりが調和して作者の真のイ
メージを伝え、作品に取りかかるために不可欠な集中力の方向性を定め、自身の伝えたい心
の状態を表現している。(ル・ペイ紙) 
 
―動作に入る前の瞑想、そしてインスピレーション。突如、動きに移る。初めは大きく、そ
してより細かな動きに変わる。身体じゅうを揺らし、弾みをつける。手は出発点を探る。そ
れが正しい位置でないと、作品のすべてが変わってしまう。筆先まで感情を伝えるには身体
全体を使わなければならない。魂が絵の中に吹き込まれるために。 
(レスト・レピュブリカン紙) 
 
―神野八朗は巨大なキャンバスの上に描いた作品や地面に境界線を引いて造られた庭園、
芸術の世界でのあらゆる活動を通して、禅の思想を注ぎ込み、空白と充満に永遠の対決をさ
せている。手は書くことを心得ていると言われる。しかし書いていることを忘れなければな
らない。そこで初めてキャンバスの上で思い切った動きができるのだ。まるで魔術のように。
キャンバス面に墨がついた瞬間、二度と後戻りはできない。修正することも、消去すること
もない。描かれるこのひと筆にアーティストの人間性と価値が映し出される。 
(ロワジール・デタント紙) 
 
―神野八朗の芸術性は、デカンタシオン(澄み切るまで沈殿させる)の域に達している。ひ
と筆はインスピレーションが湧いた瞬間に開始されなければならず、この瞬間を確信し、決
断することで初めてこの長いパフォーマンスを可能にするのだ。(ル・フィガロ紙) 
 
―日本では、書道は何よりもまず精神と心の状態を表す。神野八朗は、絵画と書という二つ
のものを結びつけた。(ル・ジュルナル・ド・ジュネーブ紙)  
 
―素早い筆運び―そこには表面的な抽象概念では気ままな装飾の中に閉じ込めきれない生
命の鼓動を感じさせる強烈な抒情性がある。にもかかわらず、エレガンスに満ちている。 
(ル・クーリエ・オーストラリアン) 
 
―日本人の自然に対する壮大な想いが惜しみなく表現され、時に何かを呼び起こしている
ように感じさせる作品だ。 
(ヘラルド トリビューン紙) 

 
―瞬間的な筆運び。陰影を産み出す独特の動作。(レ・ヌーベル・リテレール) 
 
―我々の批評的センスにではなく、我々の中の無意識に語りかけてくる形に言葉もなく、驚
き、興味をそそられる。何よりも純粋な線が我々を魅了する。 
(ラ・ルビュー・モデルヌ・デ・ザール) 
 
―厳かな確信に裏付けられたカリグラフィーである。 (ラマトゥール・ダール) 
 
―この見事なカリグラフィーのスパイラルは素晴らしいものだ。神野八朗は日本という変
わらぬ永続性を確信させてくれる。(ル・モンド紙) 
 
 
 
―神野八朗 華麗なる筆致 
 VIVRE A PARIS - ART    ル・フィガロ紙 
 
・・・書道家である神野八朗の確固たる自信の裏にある天賦の才能は消えることがない。彼
の元ではいわゆる線のアートはまったく違ったものとなる。それは私達の思想に全く別の
生き方をもたらしてくれるからである。平穏な世界であると同時に素早い決定を下すスピ
ードの世界。本質以外のあらゆることが締め出され、人にも物にも陰影がなくなったら、陰
影の陰影はどんな意味を持つのだろうか。 
このように演劇的かつ造形的なデカンタシオン(澄み切るまで沈殿させる)の域に達した
このアートでは、ひと筆はインスピレーションが生まれた瞬間に描かれなければならない
ものであり、その瞬間の確信と決断こそがこの長いパフォーマンスを可能にするのだ。 
息を止めて、じっと観察し、迷うことなく賞賛するべきだ。 
何という力強さ、何という柔軟性だろう。その勢いを抑えるような型造りの行為は一切行わ
ない。力強い線に強弱をつけるだけで全体にボリュームと動きを十分に与える。そして空間
を征服する。 
巨大なるビジュアルな交響曲の様に、リズム、リフレイン、休止が交互に入れ替わりなが
ら連続していく中を神野八朗のエスプリが躍動し、我々のあらゆる想像の次元に働きかけ
魅了する。 
この筆の儀式は崇高な簡素さと活発な感受性そのものだ。そして大変美しい。 
       
                      ジャンマリー・タッセ 
 
                        (片岡まり訳) 

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